2月19日(金)に開催された国際共修シンポジウムに、学生サポーター2名が登壇しました。
今回は、そんな貴重な体験を通して私たちが考えたことを記したいと思います。
【登壇者・発表内容】
- 文学部英語学専修3年 湊 洵菜
『履修生と学生サポーター両立場からの学び』 - 経済学部経営学科3年 峯村 遥香
『オンラインで変容したサポーターの在り方』
1. 学びの探究(湊)
学びを振り返り、分析し、他者に届く形となるよう有機的にまとめ上げる。私が本研修会への登壇に際し準備を行ったプロセスです。経験の意義を省みるメタ認知活動によって、ぼんやりと宙に浮いていた学びは、自分だけの価値や解釈というクリアな輪郭をもって心奥にすとんと落ちるように感じられます。ひとつに、私は以下のような気づきを得られました。
国際共修はサプライズの連続、試行錯誤の積み重ねです。特に、過去と未来を問い直す時代と言えるコロナ禍に、オンラインという新たな形式で世界との対話に踏み出す者は、一層の「未体験」や「想定外」を経験することになります。
私が体験した授業内のコンフリクトは、まさにその「異」との遭遇に端を発するものであったと感じています。他者との衝突を堪え難く思う気持ちは、一刻も早くその気まずさから脱しようと半ば誤魔化して場を収める行動に転じかねません。しかし、振り返ってみればその困難こそが学びの種であったように感じられます。辛苦を重ねながら、仲間とより良い方向へ舵を切っていく試みが成長を生むのです。順風満帆では得られないものがあります。
この学びは生活にもインパクトを与えています。生来、私は何事にも入念な予測や準備、安定を好んできました。しかし、次々と予測不可能な展開が押し寄せる国際共修において、全てがプラン通りに進むことはまずありません。その目まぐるしい体験を経て、日々の生活に資する大胆さや適応力が身についたと感じています。上手くいかないことがあっても、それは成長の燃料と捉え、成功と失敗の揺らぎを楽しめるようになったのです。
一連の内省を通じ、国際共修で得た「困難こそが学びの種」という気づきが大きな自己成長を促しており、私は自身を広い世界に連れ出す力強さを得たのだと、その経験の意義を解釈することができたと感じています。
学んで終わり、ではあまりにもったいないように思います。学びは丁寧な振り返りを通じ、より深く確かな意味をもつと確信しているからです。学びそのものの探究とでも言うべきでしょうか。リフレクションレポートを課す授業は多いようですが、それを本研修会のように多彩な他者に発表する機会、さらには各々の学びを語り合う機会があれば良いと感じます。授業に関わる全ての人が新しい自分を見つけ合い、育ち合う学習が展開されることを望みながら、国際共修のさらなる進歩に貢献していく所存です。
2. 学生を取り巻く人々へ与えた示唆(峯村)
ウェビナー事後アンケートでは、学生目線の意見が大変貴重だったというコメントを多数いただきました。
今回の我々の発表は、学習者側がどのような授業やサポートを求めているかを知るコミュニケーションの機会となったのではないでしょうか。
私にとって学生サポーターに取り組んだ経験は、単なる教員の補佐ではなく、履修生時代からさらに発展した学びの機会でありました。またキャリア選択や今後の研究テーマにも好影響をもたらしたと感じています。
これらの学生としての気づきが、教職員にとっても重要な発見であると述べているコメントもありました。サポーターとして授業に関わることで学生が得る価値を、場を提供する側である教職員の方々にも認識していただけることができました。
オンライン授業によって学びの機会が制限されたようにも思えますが、むしろ新しく学び方を生み出せる好機であると感じています。学生が大学という場をフル活用して成長でき、主体的に活躍するチャンスが今後さらに整備されることを期待します。